JURAJ KRÁLIK                           ユライ・クラーリック
Diplomat and Teacher
 

 
Ballovaさんに紹介していただいたお兄さんのクラーリックさん。幅広い活躍について色々と聞いてみましょう。

Q: まずはじめに、若いころの夢をお聞きしたいと思います。どのような夢をお持ちでしたか。
A: 若い頃は絵を描くことと歌が大好きで、画家かオペラ歌手になりたかったんです。うちの叔父さんも画家でしたが、皮肉なことにそれこそ私の夢をつぶしてしまいました。叔父さんが芸術家として自由奔放な暮らし方をしていたため、母親が「画家になるのは禁止」と決めてしまったのです…(笑)それで二つの夢のうちで歌を選んだのです。

Q: 歌ですか。外交官をしていらしたのではないのでしょうか。
A: そうですね。歌も、法律も勉強していました。どちらかというと、歌のほうに引かれて、オペラ歌手になりたいというのが夢になったのですが、その時代の事情により結局出来なかったのです。残念…

Q: でも「ルーチニツァ」(フォークロア舞踊団)を設立されたグループのメンバーだったそうですね…
A: あ、ルーチニツァ…(目が輝いた)ルーチニツァは私の愛でした。そこでソリストをやっていたのです。その頃の思い出はやまほどありますよ。フォークダンスと歌に目のないホレフロン地方、シャリシュ地方、ゼンプリーン地方など、全スロヴァキアからの若い学生達が集まり、フォークグループを作りました。自発的に作られたルーチニツァはまだまだ若くて、今のように有名ではなかったのですが、だんだん活躍し、スロヴァキアだけではなく、外国でも好まれてきたのです。

Q: その頃に関する本も書かれたそうですね…
A: 「ルーチニツァ、私の愛」と名づけたのです。それが失敗!!! 昔のルーチニツァの女性達から電話や手紙が絶えず、「私があなたの愛じゃなかったの…???」と声をかけてきた…(笑)

Q: ご出身はどちらでしょうか?
A: 僕はゼンプリーン地方です。具体的に言えば、将来はUnited European Statesの首都になる「ミハロウツァ」の出身でございます(大笑)。小さな町ですが、そこの環境のお陰で小さいころから言語力もついたのではないかと思います。厳しい中・高校では、ラテン語を6年間、ドイツ語8年間、ハンガリー語は周りの友達から習ったのです。その後、フランス語、英語、イタリー語も勉強しました。

Q: 次に、どのようにして外交官になられたのでしょうか。
A: そうですね。オペラ歌手の夢を実現できなくなったので、法律や国際関係の知識と言語力を活かそうと、外務省に勤めたのです。そして最初の海外勤務はハンガリーの大使館5年半…ハンガリーにとって難しい、こちらのプラハの春と似たような1956年の時期もそこで過ごしたのです。

Q: ジェノヴァにも行かれたそうですが…
A: ええ、そこが10年。旧チェコスロヴァキアのスロヴァキア人の外交官が非常に少なく、14人しかいなかったのです。スイスのジェノヴァに勤めたスロヴァキア大使、それから国連のスロヴァキア代表として、私は2番目のスロヴァキア人でした。

Q: 現在のご活躍も外交との関わりですね。
A: ええ。現在は、UN Secretary Generalであるスロヴァキアのクカン外相のアドバイサーをしています。その他に、大学の仕事ですね。独立した現在のスロヴァキアには何よりもプロの外交官が必要なので、彼らの教育が非常に大切です。外交官の教育に関するプロジェクトを進めながら、私自身も直接学生達に外交を教えております。優秀な外交官には、幅広い知識が必要ですが、問題を解決するには知的な姿勢が何よりも重要でしょう。近い将来、スロヴァキアは言語、経済、社会学、政治学、法律学などで豊かなスキルのある今の若い人が立派な国に作り上げてくれることを期待しています。

Q: ここは日本の方々に対してのメッセージのコーナーでもあります。ぜひメッセージをお願いします。
A:  日本の皆さんにとって、スロヴァキアは若い国なのではないかと思います。しかし、スロヴァキア人は昔から中央ヨーロッパにあり、深い歴史、文化、伝統のある民族です。最近になって独立した国になった理由は、我々スロヴァキア人は、ナチュラルであることを好み、制度化を嫌い、周りに対しておとなしいためではないかと思います。スロヴァキアは争いの多いヨーロッパの時代に独立しましたが、それが闘争なしでできたことを誇りに思っています。周りの国と友好関係を持って生活を送ることが我が民族のモットーなのです。その明確な証拠が、チェコとの平和的な分離、そして別々な国になっても暖かい友好関係で協力が続けられていることでしょう。 短い滞在ではありますが、日本を2度訪れたことがあります。1度目は観光客として主な都市を観光し、2度目は仕事の関係で京都での武装解除(軍備撤廃)に関する国際会議に参加しました。いずれの訪問にしても、一番感動したのは、朝早く漁師さんの大変な仕事を見たことでした。「海の国はすばらしいな」と感じました。中央ヨーロッパのスロヴァキアには海がありませんが、生き生きとしたフォークダンス、面白い民間伝承、きれいな山、そして内陸の国の良さも感じられますので、それらを味わいに是非おいでください。
クラーリックさんのおうちに入ると、スロヴァキア的な家具、伝統的な織カーペットが目に付き、寛いだ雰囲気を感じます。書斎にピアノ、仕事が忙しいことを表している机、本でいっぱいの本棚がずらり。これが書斎!歴史、哲学、外交、世界の国々に関する本を見ると、非常に幅広い知識のある方なのだと感動します。話もまるで講義のようで、所々ラテン語の台詞も入ったりします。ユーモアがお好きで、趣味である舞踊団のルーチニツァの面白い話をよく思い出されるようですが、お仕事の外交について質問してみると、顔が固くなり、厳しい表情も表れます。経験が豊かな方で、その厳しい表情の裏にはスロヴァキアの外交についてしっかりした意見、間違いを許さないような性格が隠れているようです。
     
   
  書斎の机はいろんな原稿で一杯です  
     
   
  その一つ「ルーチ二ツァ」舞踊団への愛を表わした本  
     
   
  クラーリックさんが描かれた絵
スロヴァキアの民族舞踊の一つ:「カリチカ」
 
     
   
  クラーリックさんの目で見た富士山